※20250801更新 『コドモノクニ』1932年11月号「ケーキクレーン」の画像を追加

『クレーンゲーム研究 系譜学・考現学・メディア論』(ボトス・ブノワ著/福村出版)という本を読んだ。
本書は、発売に先立ち出版社様より恵贈いただいたものである。私(=eagle0wl)は、ほんの少しではあるが、本書に資料協力をしていることを記しておく。本稿では、一読者としての印象を記しているが、その内容は個人の見解であることを申し添える。
忙しい方のために総評から先に書きます。
総評
本書は、ある程度知識があるはずの自分にとっても、論理展開の密度ゆえに読み応えがあった。1932年に存在していたが、歴史からは忘れられていた日本のクレーンゲーム機の話を始め、クレーンゲームの通説を覆す記述が多く見られる。そして「日本の」クレーンゲーム史においては、史実よりも勝者の歴史観が強く反映されていることを改めて感じさせるものであった。
ただひとつ注文をつけるのであれば、間メディア性という学術的文脈に基づいているため、クレーンゲーム周辺の横道に外れる記述が多く、それがある種の難解さと冗長さがあるため、読みづらさを感じた。しかしながら、未踏の領域に対する学術的挑戦であることを考えると、意欲作である証左とも考えることができる。
学術書ゆえか価格は高めだが、資料性と専門性を考慮すれば、研究者や愛好者にとっては間違いなく価値のある一冊と言えるだろう。ただし、この本を読破したからといってクレーンゲームが上手くなるわけではないので、それだけは勘違いしないように。
はじめに
本書は、その起源は海外であるものの、日本で独自の発展を遂げたクレーンゲームを学術的観点から記した内容である。考古学ならぬ考現学となっている所がポイントだと思う。
私(=eagle0wl)が持つクレーンゲームの(考現学的な)知識量については、私が過去に記した記事を参考にしてほしい。そのいくばくかの知識も踏まえて本書について言及したい。
eagle0wl.hatenadiary.jp
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※この記事は大幅な修正をせざるを得ない状況にあります。
本書の著者は、3月28日に放送されていたNHKの『最深日本研究 〜外国人博士の目〜』の「クレーンゲームを知りたい」に出演していたそうだ。私は本書の存在を知ってからこの番組を知ったので未見である(NHK+、NHKオンデマンドでも配信なし)。
本書における理論的枠組みと歴史観
本書の冒頭では、クレーンゲームは日本中に偏在している一方で、3つの不在があることを挙げている。クレーンゲームは、ゲームセンターやアーケードゲームの歴史において極めて不完全にしか扱われていないこと(歴史的な不在)、日本の都市景観に偏在しているにも関わらず都市文化論や文化研究などの人文学的な文献に登場しないこと(現在的な不在)、ゲーム研究における既存の理論や概念に当てはまりにくい状況にあること(理論的不在)、とある。
これらの問題に対して、クレーンゲームをゲームとしてではなく、間メディア性(intermediality:あらゆるメディアは必ず他のメディアと相互に接続しており、その関係性、相互作用、相互参照がおこる現象と、その研究概念を指す)によるアプローチが試みられているのが本書である。
クレーンゲームの文化的側面を語るうえで、比較対象としてプリント倶楽部が挙げられている。プリント倶楽部は女子高生のサブカルチャーと写真文化の視点からその重要性が認められているのに、クレーンゲームにはそれがないと。いまやクレーンゲームはゲームセンターの売上の5割を占めているにも関わらず、である。
前述のように、私(=eagle0wl)はホビイストとしてクレーンゲームの研究結果を公開しているが、本書はその内容をほぼ網羅しており、多くの新たな発見を得ることができた。そして、公開済みの研究成果の大幅な修正に迫られている。特に、国産初の”クレーンゲーム”(自働販賣機)の特許が1931年に存在していたこと、1932年には「ケーキクレーン」(当時は菓子類のことをケーキと称していたらしい)と呼ばれるクレーンゲーム機が流行したものの、射幸心を煽るという理由で全面禁止になっていたことは全く知らなかった。
これは、当時の読売新聞や朝日新聞が流行を伝えた記事だけでなく、『菓子新報』という業界紙、取締りを行った山口県警の資料にも存在し、ケーキクレーンという童謡(児童雑誌『コドモノクニ』1932年11月号収録)まで存在しており、その歌詞と挿絵から間違いなく今日のクレーンゲームと同じものであることもわかるようになっている。

歌詞を見ると「一銭おくれと やつてくる。」「クレーンが お菓子(おくわし)を はこんでる。」とあることから、コインオペレートのクレーンゲーム機であることがわかる。ただし、時期的に考えて電動ではなく、ハンドクランクによる操作と考えられる。

※『コドモノクニ』1932年11月号は、国立国会図書館デジタルコレクションに収録されている。本書の公開範囲は国立国会図書館内限定となっており、オンラインで記事の閲覧はできないが、「ケーキクレーン(童謠) / 平野直 ; 深澤省三」の記述は確認できる。遠隔複写サービスには対応しているため、申し込むことでpdfデータを入手可能。
dl.ndl.go.jp
※国産初の”クレーンゲーム”(自働販賣機)の特許については、ウェブ上のソースが1件しか見つからなかった。
上記ウェブサイトでは特許出願者は「大對芳太郞」と記載されているが、本書では「大對芳太」の記載だった(p12、p86)。ChatGPTとGrokのDeepSearchでそれぞれ調査してみたが、戦前の出来事で資料も少なく、デジタル化もされていないためか、出典元が非常に限られているようだった。ChatGPTでは「公報では旧字体で「大對芳太郞」となっていますが、現代の表記では「大対芳太郎」とも」、Grokでは「大對芳太郞(大對芳太とも記載される)」「発明者は大對芳太郞(大井 蛍太郎)で」というように曖昧な結果しか得られなかった(ChatGPTによるDeepSearchでは当ブログも出典元になっていて笑った)。
参考:ChatGPTによるDeepSearchの結果
chatgpt.com参考:GrokによるDeepSearchの結果
https://x.com/i/grok/share/VOI2ee3ErqLMzzk5Z5NZarHze
また、同時期の海外の話になるが「クレーンゲームが「適切な金額を投入すれば獲得できる」「腕が上手ければ獲得できる」または「運が良ければ獲得できる」のどれに当たるのかが分かりにくい。」(p107)といった問題が、1930年代の時点で議論の対象になっていたことには驚きである。そう、全く進歩していないのである。
本書によると、日本におけるクレーンゲーム史を記した既存の文献は、権威者から発せられた物語として構成されており、資料を整理すると歴史的な誤りを含むだけでなく、時には矛盾をはらんでいる(p110)としている。
まず、日本のアーケード業界における国産初のクレーンゲームは1965年に登場したことになっているが(私のブログでもそう書いている)、1965年にリリースされた”国産初”のクレーンゲーム機がある程度普及したことを事実としつつも、この時代の参照可能な資料がほぼ存在しておらず、どういった景品が使われ、どのような場所に設置されていたのか、ユーザー層はどうだったのか、どれほど流行していたのか、セガや太東貿易(=タイトー)が当時販売していた機械のなかでどれだけ成功したのか、そういったクレーンゲームの成功を計ることのできる統計・データ・資料が一切ない事を挙げて、1960年代に起こったとされる第一次クレーンゲームブームは、本当にブームと呼べるものだったのかと疑義を呈している。
そして、前述したように1932年のケーキクレーンの存在が無視されていることから、1930年代のブームと1960年代のブームが断絶されていることを指摘している。
UFOキャッチャーの登場を契機に1980年代後半にあったとされる第二次クレーンゲームブームについては資料はあったとしつつも、1990年代とそれ以降の時代においては、既存の研究で最もカバーされていない領域であるとしている。アーケードゲーム史としても、対戦格闘ゲームなどのビデオゲームの時代として総括されており、クレーンゲームのことが完全に無視されている。2000年代に入ってもクレーンゲームが全く扱われないか、具体的な年号や出来事などもないとしている。
これらの指摘を踏まえて、既存の資料では、1960年代は第一次ブームとして、1980年後半は第二次ブームとして焦点が当てられているが、そのせいで黎明期である1930年代と、実際にクレーンゲームが普及し市場が拡大していった1990年以降の出来事が見落とされているという問題提起が行われている。
…
これは、私(=eagle0wl)がクレーンゲームの歴史を書くうえで感じたことと全く同じである。資料らしき資料はろくに存在せず、あったとしてもそれはキャラクターグッズの紹介であったり、それらしい資料を見つけてもよく読んでみると勝者の歴史観で語られる検証不可能なポジショントークばかりであったことを思い出す。例えば、第二次ブームではセガがアンパンマンのライセンスを獲得してぬいぐるみを投入したことで人気に火がついた、2000年代においてはONE PIECEのエースのフィギュアで人気に火がついた、という説明があるが、検証可能な二次資料が存在しないので、業界側の主張に対して懐疑的になってしまうのである。近年であれば、初音ミクのプライズフィギュアはコンスタントに出続けているので、定番プライズになっていることは肌感覚では間違いないと思うのだが、それを裏付けるデータがないので、その論は留保せざるを得ないのである。
業界紙である「ゲームマシン」「コインジャーナル」「アミューズメント・ジャーナル」は参考にはなった。洋書だと1930~40年代のブローシャー(チラシ)を集めた「Antique Arcade Game Ads - 1930s to 1940s」と「Antique Arcade Games: Mike Munves 1939-1962」というペーパーバックも参考になった(このペーパーバックは10年以上前に定価で購入したが、現在はアホみたいに値上がりしている)。しかしながら、一次資料と呼べるものは、筐体のブローシャーと筐体マニュアルぐらいであった。産業史あるあると言えばそれまでなのだが、アーケード業界の稼ぎ頭であるにも関わらず、文化的には軽視、あるいは黙殺されていることを強く感じるのである。それはまるで、お金儲けは大好きだが業界史にはあまり関心のないパチンコ業界のようである(誤解のないように書くと、パチンコはもともと庶民の娯楽であり、庶民の熱量で進化していた時期があるため、打ち手目線の歴史資料は多くある)。
そのような中で、本書は歴史の連続性と断絶を解き明かし、歴史の再構築が試みられている。
長々と書いてしまったが、これで全体の1/3である。これ以上書くと書評ではなくなってしまうので、より深く知りたい方には、ぜひ本書を手に取っていただきたい。
余談
書評とは関係のないことだが、筆者と関わりの深い(?)ヨーヨーの記載を見つけたので該当部分を引用する(p83)。
(引用者註:クレーンゲームを指して)アメリカの業界紙では、恐慌の時期に利益を上げるためのビジネスとしての有効性を強調する傾向が強いが(中略)フランスの日刊紙には、逆にクレーンゲームをブルジョア的気晴らしであり、怠惰で寄生的であると非難する評論家もいる。例えば『L'Esprit, revue internationale』の1934年12月号の中で、クレーンゲームは「つけまつげ、ヨーヨーとクロスワードパズルと並んで、完璧なブルジョア階級の装備がお揃いになる」と記述されている(Esprit, revue internationale, 1 décembre 1934, p.23)。
なぜここにヨーヨーが含まれているのかというと、2年前(1932年)にロンドンで世界初となるヨーヨーの世界大会が行われていたからだと思われる。
