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クレーンゲームを学術的に論じた書籍『クレーンゲーム研究』(ボトス・ブノワ著/福村出版)を読んだ

『クレーンゲーム研究』の書影

はじめに

前回のエントリでは『クレーンゲーム研究 系譜学・考現学・メディア論』(ボトス・ブノワ著/福村出版)という本をいただいたので、その書評を書いた。

eagle0wl.hatenadiary.jp

www.fukumura.co.jp

前回は書評として「全体の1/3」を取り上げたが、今回は書評スタイルではなく、残りの2/3の部分で印象に残ったテーマや、それに対する私自身の考えなどを記すことにする。

以下、本書で述べられていることおよびその要点と、私(=eagle0wl)の意見を区別して記述するようにしている。

本書で印象に残った箇所と自分の意見・感想

1990年代以降の市場の変化

本書では、国産初のクレーンゲームは1965年ではなく、1932年のケーキクレーンであるという再発見があった。既存のクレーンゲーム史においては、”国産初”のクレーンゲームが登場したとされる1965年(前述の通り実際は1932年)と、UFOキャッチャーが登場した1980年後半にブームが起きた、とされているが、ゲームセンターにおけるクレーンゲームの市場が実際に大きくなる1990年~への言及は非常に手薄だとして、その時代の歴史の再構築が試みられている。

1990年代に入り、ゲームセンターにクレーンゲームの筐体が一通り置かれ、筐体自体の需要が落ち着くと、クレーンゲーム市場は一瞬停滞する。その当時の主な景品はぬいぐるみである。当時は、クレーンゲームでしか入手できない景品というものがなかったと思うが、各社が筐体に入れる専用の景品の開発に着手すると、市場は右肩上がりに成長していく。このあたりは私自身の記憶とも一致する。

ゲームセンターのゲームは基本的には1筐体では1種類のゲームしか遊べない。つまり、世間から飽きられたらそのゲーム基板は入れ替えるしかない。近年のビデオゲームは専用筐体の割合が高く、入れ替えともなるとその費用は馬鹿にならない。さらに、オンライン対戦対応のためのメーカーへの上納金、キャッシュレス決済の手数料も考えると、ゲーム筐体を運用してもゲームセンターへの旨味などほとんどない現状がある。

クレーンゲームにおいては「1筐体では1種類のゲームしか遊べない」という点ではほかの筐体と同様である。しかし「中の景品を入れ替えるだけで、それは実質新機種になる」というクレーンゲームならではの柔軟性は、ビデオゲームの専用筐体が抱える構造的コストの高さに対して明確な対抗軸となっている。これは、ゲームセンターのオペレーションのビジネスモデルにおける重大な転換点であり、現場から歓迎される大きな要因だったのではと考えるのである(似たような記述はp179にもある)。

(年齢がバレる発言になるが)筆者の子供時代を振り返ると、クレーンゲームの筐体はデパートのゲームコーナーの片隅にはあったが、それほど注目されているというものでもなかった。それは、景品があまり魅力的でなかったことに尽きると思う(当時の景品の上限金額は500円)。もう少し自分の記憶を思い出してみると、ゲームセンター向けに改造されたプライズ機としてのパチンコを打ち止めにすると、カプセルに入った景品が払い出されるが、その当時の主な景品は女性用のショーツなど、どちらかというとジョークグッズの意味合いが強かったように思う。つまり、その頃の景品は上限金額に加え、サイズなどの制限もあり、魅力的なものを用意できなかった、と見ることもできる。

しかし、今になって20年以上前の業界紙の景品広告を見直してみると、景品のクオリティの上がり方には驚くしかない。当時のぬいぐるみはとにかく原価重視だったためか、人形のぬいぐるみになると手足がほとんどない、言い方は非常に悪いがダルマのような形状であった。

2000年前後には美少女フィギュアが登場するようになるが、これもまた言い方が非常に悪いが(現在のフィギュア審美眼では)泥人形のように感じるのである。それだけフィギュアのクオリティの進化は凄まじいのである(2008年の『ねんどろいど 初音ミク』の大ヒットがブレイクスルーになったと私は考えている)。

ぬいぐるみの大量生産と社会的批判

ここで私(=eagle0wl)が面白いと感じたのは、ゲームセンターの新たな稼ぎ頭としての頭角を表し始めたクレーンゲームに対する批判や、その当時起こった批判的なコメントを複数取り上げていることである。

1980年末~1990年前半のクレーンゲームの主な景品はぬいぐるみであったが、セガによると韓国で見つけた検品漏れのぬいぐるみを安価で入手できたことが要因とされている。

当時の景品のぬいぐるみはアジア諸国の輸入品であるが、低い生産コストの追求の結果そうなったわけで、それらの国の人件費と直結している。つまり、その頃の景品用のぬいぐるみの大量生産と流通には、アジアの安価な労働力に支えられた資本主義的生産方式であると、著者が明確に批判している点が印象深かった。

後発かつ隣接業界にはなるが、服飾業界のファーストリテイリングユニクロ)は、単に競争入札で安く買い叩くのではなく、現地に工場を建設し雇用を生み出すことで、最終的に価格と品質を兼ね備えた商品を生産できるようになっている。クレーンゲームの景品のぬいぐるみも、当初はそういう搾取的構造があったことには違いはないだろうが、やがて景品用の高品質なぬいぐるみの製造が必須となった現在では、プライズのぬいぐるみの製造もユニクロのようになっているのかが気になるところである。

また、2000年前後からクレーンゲーム専用景品として、美少女フィギュアが多数投入されるようになったが、フィギュアの製造工場にも、同じような問題(安価な労働力による資本主義的生産方式)が存在していたようなので、似たような状況がどこかしらで繰り返されていたのかもしれない。

過去に私が超有名フィギュア原型師から聞いた話では、フィギュアを製造する工場は中国の都市部から大きく離れた奥地にあり、舗装されていない道路を車で何時間も飛ばした先にあったという。その道路の脇には人間の死体が放置されているような治安で、工場がある現地は食事用の皿を洗わないような文化なので、そこで飲食は絶対にしない、とのことだった。その工場で美少女キャラの造形にショーツの白を塗っていると考えると非常にシュールである。

話を戻そう。

ぬいぐるみ欲しさにゲームセンターに女性客が急増したこと(数年後に出たプリント倶楽部の影響もある)を肯定的に捉える声が多い中、これまで男性のものだった空間に女性が入り込むことへの批判も取り上げている。(孫引きになるが)小田嶋隆によると、ゲームセンターを「孤独な男性の隠れ家」と表現し、そこに孤独を知らないカップルや少女たちが入り込んだことを「越権行為」と評している(当時のこち亀でも、ゲーセンなのに男が入りにくくなったという記述があったような…)。

UFOキャッチャー以降、景品が目線と同じ高さに配置されショーケース化した流れと、女性客の増加による男性の領域が侵犯されている点について、(日本初のクレーンゲームが誕生した)1930年代との類似点を指摘しているのが興味深い。

現在編:変貌するゲームセンター

1990年中頃から業界団体が作成した資料が充実しているため、その資料を元に様々な考察が加えられている。

その冒頭では、1990年後半から言われるようになった「ゲームセンター凋落論」について異議を呈する姿勢が明快である。実際には、小規模店舗が減少しつつも大規模店は増加しており、売上の主役はクレーンゲームにシフトしていることが示されており、これはゲームセンターの凋落ではなく変貌であるとしている(p172-)。

私はこれを読んで、ぱちんこ業界と全く同じではないかと思った。全国のぱちんこ、パチスロ店を合わせたホール数は1995年の18,244店舗をピークに毎年連続して減少しており、2024年では6,706店舗まで減少している。実際には、大型店舗がオープンする一方で、地方での中小規模の店舗が廃業するという一極集中の状況にある。事実、日本全国にあるぱちんこ、パチスロの設置台数の合計に着目すると20年以上ほぼ横這いであった(コロナ禍で大きく落としたが)。機械台数に着目すれば、業界が凋落していると断じることはできない。

全国遊技場店舗数及び機械台数(警察庁発表) | 全日本遊技事業協同組合連合会(全日遊連)
www.zennichiyuren.or.jp

ゲームセンターの話に戻すと、クレーンゲーム専門店を謳う店舗も多く見られるようになり、近年ではクレーンゲームの設置台数の日本一、ギネス記録を競うような動きも確かにあった。ビデオゲーム全盛期を生きた旧来のゲーマーであれば、クレーンゲームばかりになってしまったゲームセンターに複雑な思いを抱くだろうが、本書を読むと、クレーンゲームこそが本来のゲームセンターの姿に近いのでは、とすら思えてくる。

フィールドワークによる新たな知見

本書における2000年代からの系譜は、主に業界紙の記事分析によって構築されているが、業界の資料で得られる情報が限られている(p211)ため、根拠に限界があるとしている。そのため、著者は都内(主に秋葉原と池袋)でフィールドワークを実施して補足を試みている。

注目すべきは、クレーンゲームは他のゲーム機と異なり「店員の裁量で完成する未完成のゲーム」という点である。「(調査対象の店舗の)クレーンゲーム担当店員は全員アルバイトだった」(p257) ということから、ディスプレイや景品配置・設定はバイトが行っており、バイトの店員がゲームデザインに関与していることに間メディア性を見出している。

ここで私が知る一般論を補足しておくと、ゲームセンターの店員は店長とフロア長(複数店舗のまとめ役)は社員だが、それ以下は基本アルバイトである。

また、女性プレイヤーは交渉を通じて効率よく景品を獲得しようとするが、男性プレイヤーは技術で勝負したがる傾向があるという観察も興味深い。

以下は筆者の経験に基づくn=1の意見に過ぎないが、店員にも性差による行動の違いはあると考えている。店員に置き直しを依頼する際に、男性店員は状況を鑑みて置き方をおまけしてくれることもあるが、女性店員だとマニュアルに忠実なためか、そのような傾向が全く起こらないのである。もちろん地域差などもあると思うが。

私(=eagle0wl)がクレーンゲームに興味を持ったきっかけは、任天堂RPG『MOTHERシリーズ』のどせいさんのぬいぐるみのプライズが出たことだが、これを通じての海外ファンコミュニティと縁ができたことで、海外ドキュメンタリー『Earthbound, USA』の取材を(日本に住むMOTHERシリーズの一ファンとして)受けたことがある。クレーンゲームが上手くなる方法として「店員と仲良くなること」と回答したことがある。

↓私と海外のMOTHERコミュニティとの大きな接点。『MOTHERシリーズ』のプライズを後先考えずに取りまくっていたが、日本国内でしか入手できないということを知り、アメリカのMOTHERファンの知人に送りつけたらチャリティーオークションを提案され、fangamerとの接点ができたのだ(fangamerが東京ゲームショウに進出した際にはバイトで手伝ったことがある。大量の来客が音を立てて押し寄せる様はアリの大群かと思った)。
EB Fanfest 2010(fangamer.com)
fangamer.com

What’s the Plush Trust Fund?
eagle0wl is a Japanese MOTHER fan who happens to be good at crane games. When Banpresto started putting Mr. Saturn and Master Belch figurines in its crane games, he was there waiting to snatch them up! He sent nearly all of them to our friend Nat, who passed them along to us with the suggestion that they be used to benefit a charity.

Well, as it turns out, eagle0wl isn’t just ‘good’ at crane games, he’s incredible — he donated 67 items:
(略)
When we got the shipment, we realized that there were way too many plushies to auction simultaneously, so we decided to turn them into a ‘trust fund’. For each of the next 4 yearly EarthBound Fanfests, we’re going to auction 25% of the plushies!

理論編:間メディア性をどう捉えるか

後半に登場する「PART3 理論編」では、間メディア性に関する理論的記述が中心となる。

筆者の大意としては、クレーンゲーム自体は特定のカテゴリに属するような強い要素を持っているわけではなく、ゲームとして見た場合でも古めかしく、技術的にも時代遅れではあるため、単体で見るとメディアとして見るには非常に弱く、周囲の環境に依存していると言及している。

「PART3 理論編」では、間メディア論そのものの説明がかなり長く取られている。私はアカデミックとはあまり縁がないので(ウェブサイトで公開中の私の自作プログラムが、学術論文で引用されたことはあるが)、正直に言えば難解であり、十分に咀嚼できなかった。

自分なりに読み解いて単純化すると、クレーンゲームはコンテンツを入れる箱に過ぎないと考えている。ただの箱から特段の価値を見出すことは難しい。しかし、重要なのは箱そのものではなく、箱の中に何を入れるか、周辺で何が起こるかだと思った次第。

最後に

ここで完全な私事になって申し訳ないが、本書を読み終えたタイミングで、私の著書『オンラインゲームセキュリティ』を出版してくれたデータハウスが出版事業を停止していたことを知った。

データハウスというと、会社の経費で買われるような堅い本もある一方、どうしようもないアングラサブカル本も多く出版していた(これは売れないジャンルの本だけでは回らないという現実主義的な面もある)。私はアングラ本から入り込んだが、やがて会社経費で買われるような本も書くようになった自分の歩みを思い返すと、編集者から聞いたメディア論が忘れることができないでいる。それは「成熟したサブカルチャーの中には、さらにサブカルチャーが存在する」ということである。これが本書の主題においても言えるのではないかと感じられた。

本書『クレーンゲーム研究』は、歴史の掘り起こしから理論的考察、現場の観察に至るまで、クレーンゲームという一見軽めのテーマに対して、極めて重層的なアプローチを行った意欲作である。

本書の記述と、私自身の知見や経験と結びついたことを、ここに記させていただいた。